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London Metro ( リダイレクト:ロンドン地下鉄 ) : ウィキペディア日本語版
ロンドン地下鉄[ろんどんちかてつ]

ロンドン地下鉄(ロンドンちかてつ、〔イギリス英語発音: ンドゥン・アンダグウンドゥ (ンドゥナンダグウンドゥ)〕)は、イギリス大ロンドン市域を走る世界最古の地下鉄である。最初の区間はメトロポリタン鉄道により1863年1月10日に開業した。初期の路線の大部分は、ハマースミス&シティー線の一部として使用されている。
ロンドン地下鉄は、アメリカや日本の地下鉄のようにSubway(サブウェイ)とは呼ばれず、ロンドンの住民には単に"the Underground"または(より親しみをこめて)"the Tube"〔イギリス英語発音: テューブ〕と呼ばれている。後者は、そのトンネルの形状に由来している。Subwayは専ら地下道の意に用いられる。
ロンドン地下鉄には現在268のが存在し、総延長距離は400km(250マイル)〔""によると、路線全長は である。しかし、2007年7月付の同じ資料 には同じ路線長だが、より多い駅数が記されている。これはイーストロンドン線、全長約 7 km、休止の反映が不完全であるためとおもわれる。〕におよぶ。また、廃止となった駅、および路線も数多い。2004年 - 2005年の統計では、総利用者数は年間9億7600万人、一日あたり267万人である。
2003年から、ロンドン地下鉄はロンドン交通局(Transport for London=TfL)の傘下に入った。交通局は他にも、赤い2階建てバスも含めた、ロンドンのバスの運行計画や運行会社への業務委託を行っている。それ以前は、ロンドン地方交通社(London Regional Transport)がロンドン地下鉄の持株会社として存在していた。
== 歴史 ==

ロンドン地下鉄の最初の開通区間(メトロポリタン鉄道のパディントン駅 - ファリンドン駅間)は、世界初の都市内地下旅客鉄道であった。この方式が採用されることとなった1854年以降、財政上その他の障害による遅れはあったが、1863年1月10日に運用が開始された。列車は10分毎に運転され、初日には4万人の利用客があった。このメトロポリタン鉄道は延伸され、1880年には年間4000万人を輸送するまでに成長した。他の鉄道会社もその機会をみて参入、1884年サークル線が完成した。これらの路線は全て蒸気機関牽引の列車であり、地上との換気を行う必要があった。よって煤煙によって駅は煤だらけとなり、当時のホームは木造だったのでしばしば小火も出すなど、評判は必ずしも良好ではなかった。後には電気動力方式が発展、また初期用いられた開削工法から、シールド工法など、より深いトンネルを掘削する技術が進歩したこともあり、地下鉄はより深く位置することになった。そういった深い地下鉄の最初の例は1890年のシティー&サウス・ロンドン鉄道線、現在のノーザン線の一部である。
20世紀に入ると、6つの異なった鉄道会社が別の地下鉄路線を運営するようになり、利用者に不便を与えた。多くの駅で、乗換客は地上まで出て歩くことを強いられたからである。またこうした運営方式はコスト面からも効率が悪かった。どの鉄道会社も、より収益性の高い郊外への延伸を目指し、それには資本家からの資金が必要とされた。そのような資本家としてもっとも有名なのはアメリカ人、チャールズ・ヤーキスである。彼は1900年から1902年にかけて、メトロポリタン・ディストリクト鉄道、未完成のチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道(後にノーザン線の一部となる)、グレード・ノーザン・アンド・ストランド鉄道、ブロンプトン・アンド・ピカデリー・サーカス鉄道(ピカデリー線の中核をなす)、そしてベーカーストリート・アンド・ウォータールー鉄道(後にベーカールー線となる)を次々に買収、1902年4月9日にロンドン地下電気鉄道会社(Underground Electric Railways of London Company Ltd)を創設する。この会社はまた多くの路面鉄道を所有、更にロンドン・ジェネラル・オムニバス会社を買収して、「コンバイン」と称される企業組織となった。
1924年5月13日、デイジー・ハモンドなる女性がベイカールー線エレファント&キャッスル駅で出産した。新聞はその生まれた女児がテルマ・ウルスラ・ベアトリス・エレノア (Thelma Ursula Beatrice Eleanor=TUBE) と命名されたと報じた。成人したその女児が2000年のテレビ・インタビューに出演し、当時の地下鉄総裁アシュフォード卿を名付け親に、Mary Ashfield Eleanorと命名されたという事実が判明するまで、その誤報は見過ごされていた。
1933年、公共機関としてロンドン旅客輸送委員会(London Passenger Transport Board; LPTB)が創設され、上記ロンドン地下電気鉄道会社、メトロポリタン鉄道、独立のバス、路面電車会社はすべてこの委員会の傘下に入った。今日のロンドン交通局と大体共通する業務範囲である。委員会は「1935年40新規事業計画」という路線網拡張計画を策定したが、第二次世界大戦の開戦により計画は凍結される。ドイツによるロンドン空襲が開始されると、地下鉄駅は防空シェルターとして利用されるようになる。これは一時しのぎの対策として始まり、当局は当初シェルターとしての利用に反対していたが、後には適切な寝台、便所、食事施設なども備えられるようになった。
戦後は旅客の混雑が悪化した。戦後の人口膨張に伴う交通量増加を受け、1968年に北西―南東方向を結ぶヴィクトリア線が開通した。1977年にはピカデリー線ヒースロー空港まで延伸され、また1979年にはジュビリー線が開通した。
2005年7月7日および7月21日、ロンドン地下鉄の各所で連続爆破が発生した。これに関してはロンドン同時爆破事件を参照のこと。
地下鉄を用いて棺が移送されたのはウィリアム・グラッドストンとトーマス・ジョン・バーナード(慈善家)の2人である。
2013年1月13日、150周年を祝う行事が行われた。その行事にはSLが使われモーゲートからケンジントン・オリンピアまで走行した。この列車にはロンドン市長なども乗車した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 London Underground 」があります。




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